園だより愛光
【11月の聖書の言葉】
「成長させてくださったのは神です。」 (新訳聖書 コリントの信徒への手紙 3章6節)
「月 の 心」
子どもたちとかかわる私たちにとって、「成長」という言葉はいろいろな場面でよく用いられるキーワードです。
わたしたち大人はそれぞれの立場で、子どもたちの成長を楽しみに見守り、子育てや保育に取り組んでいますが、いつも心のどこかに不安を抱えています。子どもたちがこちらの願い通りに健やかに成長しているのかどうか確信が持てないからです。
子どもたちは小さくても、広く深い心で自立した考えを持っていますから、こちらの言うことをいつも聞いてくれません。子育ては壁にぶつかってばかりです。どのようにすれば、子どもたちの豊かな成長を引き出すことができるのかと考え込む毎日です。
そのようなわたしたちに、魅惑的に響いてくるのは、人の言葉や姿です。たとえば、著名なアスリートが大活躍した時に、試合後のインタビューで「結果を出せてよかった」と答えているのを耳にすることがよくあります。大谷翔平の口からもこの言葉を何度も聞きました。もちろんそこに至るまで人知れず努力を重ね、トレーニングに励んできた年月があります。そのプロセスを経て、結果が出せたということを本人はよくわかっています。だから、そのような言葉が素直に語られている、それは素晴らしいと正直思います。
しかし、どうでしょうか、。わたしたちは努力をしても、いつも結果を出せるわけではないということを知っています。むしろ、結果を出せないことの方が多いかもしれません。わたし自身、自分の人生を振り返るとまさにそうでした。でも、だからダメな、つまらない人生だったとは思いません。終わったわけではありませんが…。
わたしはかつて鼻水を垂らしながら、遊びまわっていた少年でした。そんな薄汚い腕白小僧が、こうなっているのです。今も決して、自慢できるような大人ではありません。弱い、小さな存在です。しかし、曲がりなりにも、一応、大人になりました。いま自ら振り返ると、これが自分の努力だけの結果だとはどうしても思えません。確かにそれなりの苦しい努力はしました。しかし、それがすべてではありませんでした。そう思えて仕方ないのです。
多くの人々のお支えや励ましがありましたし、両親の影響もあったと思います。そして、すべての背後に、目に見えない存在である神さまの導きがあったとわたしは信じています。ちょうど、今月の聖句にある「成長させてくださったのは神」というのが、わたし自身の偽らざる実感です。
子育て真最中の皆さんにお伝えしたいのは、この感覚がとても大切ではないかということです。親として子どもを育てることに努力を惜しまないのは当たり前ですが、それがすべてではなくて、最後の最後のところで、あらゆることをまとめ、整えてくださる方として神さまがおられるという感覚を持って、肩の力を抜いて、ゆったりと構えて子育てに臨まれることをお勧めします。何しろ皆さんにとって子育ての旅は、まだまた先が長いからです。ご健闘を祈ります。
(牧師・園長 平山正道)
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