園だより愛光

【12月の聖書の言葉】 旧約聖書 イザヤ書 9章5節

「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」

 

「月  の  心」

師走の声を聞くと、少しウキウキした気分になったのはいつ頃までだったでしょうか。クリスマスが近づいてきました。喜びと感謝にあふれる季節のはずです。

子どもの頃、クリスマスはとにかく嬉しくてなりませんでした。わたしの幼少期は60年代の前半です。長崎に住んでいました。ある年のクリスマスの朝、父の友人であるアメリカ人宣教師が「メリークリスマス!」と大きな声を響かせて、我が家の玄関先に訪れました。その人は栗色のひげを蓄えていて、眼鏡の奥から優しい眼差しを妹とわたしに向けていました。そしておもむろに大きな包みを取り出して、わたしたちにプレゼントしてくださいました。中身はひもを引っ張るとしゃべる時計のおもちゃで、長い間、わたしの宝物でした。忘れられない思い出です。あの人が本物のサンタクロースかもしれないと子ども心に印象付けられました。

クリスマスはサンタクロースが現れる日、というのが子どもたちにとっての一番大切な意味でしょう。でも、本当は、それよりもずっと重要なことが起こったのがクリスマスでした。申し上げるまでもありません。イエス・キリストがお生まれになった日です。それを、大昔の預言者の一人、イザヤは書き記していました。「ひとりのみどりご」が、わたしたちの世界にお生まれになると。サンタクロースよりも、ずっと前にその出来事は起こりました。確かに、たったひとりの赤ちゃんが生まれたことが、そんなに大事なのかと不思議に思えます。

たったひとりが無視され、抹殺さされるのが今の世界です。パレスチナのガザでは今回の戦争で、すでに14,854人が犠牲になっています。そのうち、何と5,850人が子どもです。赤ちゃんも大勢含まれています。人間世界の恐ろしい現実に慄くばかりです。たったひとりが、圧倒的な力でねじふせられ、殺されました。ひとりの積み重なった数字がこれです。そこに生まれたのは、嘆きと悲しみ、憎悪です。戦争は良いものを何も生み出しません。わたしたちは、このような世界の現実の中にいま生きていて、クリスマスを迎えようとしています。ただ、楽しくて嬉しい、豊かなクリスマスでいいのかどうか…。考えさせられるところです。

実は、上記の聖書の言葉は「権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」と続きます。クリスマスに生まれてくる方は何と「平和の君」でもあられるのです。あの日、馬小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かせられている一人の赤ちゃんが「平和の君」であるということ、この方が、世界を平和へ導いてくださるのだということを忘れてはいけません。2023年ならではの意義深いクリスマスを子どもたちと一緒に迎えたいと願っています。

(牧師・園長 平山正道)

【さんびか】 「あらののはてに」 (『こどもさんびか』改訂版 № 73)

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