【9月の聖書の言葉】  旧約聖書 詩編 23:1

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」

 

「月   の   心」

古代のイスラエルの人々はよく神さまを羊飼い、人間を羊にたとえました。羊にあまりなじみのないわたしたちには妙な感じがするかもしれません。しかし、中東では今でもベドウィンと呼ばれる遊牧民によって羊が重要な家畜として飼われています。羊から得られる毛や肉が、貴重な現金収入になるからです。

羊はとても弱い動物です。放牧されますが、羊飼いの導きがなければ、おいしい牧草や水のある場所にたどり着けません。野獣が襲ってくれば、すぐに負けてしまいます。そのような羊の弱さに着目して、人間が羊にたとえられたのです。また、その弱い羊を養い、育てるように、神さまが人間に手を差し伸べ、守り導かれることを、この詩の作者は印象的にうたいました。

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」とは、したがって、神さまが羊飼いとして、わたしたち人間を養っておられるので、わたしには何も欠けること(不足)がない、満たされているということです。そうであれば、これは事実をうたっているというよりも、信仰や希望をうたっている言葉です。

わたしたち人間は、生きている限り、いつも何かが足りないと感じています。何も欠けることがない、などと思ったことはほとんどありません。今も、わたしたちはこの難しい現実の中で悩み、苦しみ、そこはかとない不安を覚えています。2学期が始まるこのタイミングで、連日報道されているのは嫌な殺人事件です。よその町で起こった悲惨な出来事がわたしたちの町で起こらない保証はありません。わたしたちに足りないものの一つは、間違いなく平和です。安心感です。

わたしたちには、今「何も欠けることがない」とは言えません。でも、神さまがこんなに弱いわたしたちであっても、守り、導いて、必ず不安を満たして下さるのだと信じることができれば、未来を先取りするようにして「わたしには何も欠けることがない」と大胆に語ることができるのではないでしょうか。

神さまのお守りを信じて、希望を持って前に前進する、そのような2学期になればと願っています。引き続き、どうぞよろしくお願いします。

                                                                     (牧師・園長 平山正道)

 

 

 

 

 

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