園だより愛光
【11月の聖書の言葉】
「さあ、ベツレヘムへ行こう。」 (新訳聖書 ルカによる福音書 2章15節)
「月 の 心」
今年もクリスマスが近づいてきました。つい最近まで暑さを感じるような秋でしたから、少し妙な気分です。でも、町はすっかりクリスマスの装いです。
クリスマスというものは、もともと、神の子イエスがキリスト(救い主)としておうまれになったことをお祝いする日です。ですから、「クリスマス」は、キリストとマス(ミサ、礼拝)が合わさってできています。
愛光幼稚園はのクリスマスは、キリストの降誕を子どもたちがぺージェント(聖誕劇)で演じることが長年の恒例になっています。ルカによる福音書によると、イエス誕生の知らせはまず羊飼いたちに天使から伝えられました。その時に、彼らが発した言葉が「さあ、ベツレヘムへ行こう。」でした。ベツレヘムの町へ行って、救い主としてお生まれになった赤ちゃんにお会いしようと、彼らは勇んで出かけました。
その赤ちゃんは、都エルサレムの宮殿ではなくて、その周辺にある小さな村、ベツレヘムの馬小屋で生まれました。まことに小さく、弱々しい方が救い主なのです。その方の誕生日を、二千年後のわたしたちがお祝いすることの意味を、今年も噛みしめたいと思います。
人間の力が誇示され、強い者が横暴にふるまっている今の世界にあって、救い主イエス・キリストの有り様ときたら、何にも太刀打ちできないように見えるかもしれません。しかし、この世の権力者の横暴さとは対極にある、キリストこそが平和への道を指し示しているのです。
聖書の中に、次のような言葉があります。
「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(コリントの信徒への手紙12章9節)
ベツレヘムの町には、馬小屋があったと伝わる場所に「聖誕教会」というキリスト教の教会が建てられていて、この時期には、世界中から巡礼者が訪れます。そして、不思議に思えるかもしれませんが、ベツレヘムでは、ユダヤ教もイスラム教もキリスト教も平和的に共存しているのです。ちなみに、ベツレヘムといま戦闘が続くガザとは直線距離で60キロほどしか離れていません。暗闇のような現代の世界で、ベツレヘムの姿は希望の光です。
わたしたちにとっても、「さあ、ベツレヘムへ行こう。」と一歩を踏み出すような、意識深いクリスマスを迎えていきたいと心から願っています。
(牧師・園長 平山正道)
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